株中毒の闇鍋ブログ

株で財産を溶かした管理人の、現実逃避ブログです。時事、歴史ネタ中心になるかな……

『Dr.スランプ アラレちゃん』 則巻千兵衛博士についての雑感

 『Drスランプ』、『ドラゴンボール』の作者、鳥山明氏が急逝されました。

www.youtube.com

 私自身は、彼の漫画を直に追っかけていたわけではなく、テレビで放映された、『Dr.スランプ アラレちゃん』を最初期*1から最終回まで、『ドラゴンボール』は、悟空が結婚するまでは見ていました。

 だからあまり熱心なファンとは言えなくて、漫画版とアニメ版のズレとかもあるから、厳密には鳥山明氏のファンとも言えないのかもしれないけど、『アラレちゃん』に関してはフィルムコミックや、レコードを買ってもらった思い出もあったりするので、大人になってから見方の変わった『アラレちゃん』について、則巻千兵衛「博士」中心に書こうと思います。

28歳という年齢

 たしか、物語開始の時点では「28歳、独身」が千兵衛さんの基本スペック。この28歳という年齢、アニメを見ていた時点では「おじさん」*2でしたが、自分が実際その歳になった頃、その妙な実感が分かったような気がしました。もう「若者」という言い訳は世間に通じない、けど、やはり実感としてはそれほど大人になったとも思えない、というか……。*3

 千兵衛さん自身、アラレちゃんの級友のピースケやアカネといった中学生を遊びに誘ったりしていて、まだまだ子供気分が抜けていないのかな、とも思います。

 Wikipediaひいたら、発明品を売っての収入もあるけど、親の遺産もあるようなことを書いていたので、当時の言い方を使えば「モラトリアム人間」とも言えるでしょう。

 そんなモラトリアムな千兵衛さんの人生を一変?させたのが、アラレちゃんを作ったこと。作った理由は明かされていませんし、なぜアラレちゃんを最初からロボットと明かさなかったのかもわかりません。*4

 しかし、アラレちゃんを作り、発明品ではなく「年の離れた妹*5」として周囲に紹介した時から、結果として彼には「年少者の保護者」としてふるまわなければいけない、小難しく言えば「自分以外の存在」への「責任」を持つ必要が出てきたといえるでしょう。

 さらに、ほどなくして、タイムスリップした先で気まぐれに拾ってきた卵から、「ガっちゃん」という言葉の通じない「赤ん坊*6」の保護者にまでなってしまいます。しかもこの赤ん坊、羽が生えてて飛び回るし、電撃をだしてくるし。

 それでも結局、アラレちゃんを通じて、その担任教師である山吹みどり先生*7と出会って恋をしたり、千兵衛さんの人間関係が広がっている面もあるんですよね。結果として山吹先生との恋は(連載中のアレコレなドタバタを経過して)成就し、結婚して千兵衛さんは「独身」の状態を脱していきます。

 Wikipediaによれば、最初は千兵衛さんが主人公の予定だったのが、アラレちゃんを出させて主人公にするというのは、担当編集の鳥嶋氏の発案だったそうですが、それは正解だったのではと思います。少年漫画だから、対象は小学校中学年~高校生くらいがターゲットでしょうから、28歳のおじさんが主人公では感情移入しにくいと思うんですよね。かつ、これでドタバタをやるとなると、言ってはなんですが、千兵衛さんがかなりイタい人になってしまうのではないかと思います。

 アラレちゃんを主人公にしておけば、対象読者の意識はまずそちらに行くので、感情移入の問題はクリアできます。また、トラブルに関係するにしても、自分の作った発明品ではあるけれど、制御不能な意思を持つアラレちゃんの起こすトラブルに巻き込まれる、というパターンにした方が*8、読者に多少の同情も沸くというものです。また、千兵衛さん自身に、「発明家」という一般的には分かりにくい社会的立場だけでなく、前述した「保護者」という分かりやすい立場を提供することにもなっています。

 そして、アラレちゃんの「保護者として」色々な人に関わっていくことで、彼自身が成長しているとも言えるのではないでしょうか。こうして見直してみると、『Dr.スランプ』の主人公は千兵衛さんでもあるといえると思います。

「博士」としては意外と若い千兵衛さん

 この当時までの漫画に出てくる「博士」としては、『鉄腕アトム』の天馬博士、御茶ノ水博士、あと、『サイボーグ009』のギルモア博士くらいしかレギュラーメンバー格では知りません。キャラデザインから推定して天馬博士が40~50代くらい、御茶ノ水博士が50~60代くらい、ギルモア博士も50~60代くらいです。千兵衛さんがまだ20代というのは、先行作品の博士たちと比べても、実はかなり若い部類に入ります*9

 実際問題、日本の博士課程を卒業すると最短でも27歳までかかるということで、28歳というのは博士になって間もない歳ということも考えられます。

www.google.com

 80年代の日本では、「博士」になるのはまだ凄く狭き門でした*10。文系の話になりますが、修士になってから、博士になるまで20年近く費やした人を知っています。「末は博士か大臣か」という言葉が戦前にはあったくらい、「博士」というのは重い肩書だったのです。

 学生運動で荒れた70年代を経て、80年代にレジャーランド化した*11、と言われていた大学の学部課程とは違って、大学院の修士及び博士課程は、完全な研究者の道なので、論文を出したからといって必ずしも通るわけではなく、27歳でストレートで博士になれているとしたら、相当できる人ということになるのではと思います。

 無論フィクションの世界ですから、飛び級という可能性もあります。また千兵衛さんの場合、アラレちゃんを含めた工学的発明が多いのでおそらく工学博士ではないかと思いますが、惚れ薬なども作っているので、医学・薬学も修めている可能性も出てきます。

 やはり則巻千兵衛博士は天才なのです。

 改めて鳥山明氏のご冥福をお祈りいたします。

 では。

shonenjumpplus.com

 

 

 

参考↓

ja.wikipedia.org

www.tokyo-np.co.jp

ja.wikipedia.org

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*1:たぶん一話から見られた訳ではなく、評判になった頃から見はじめたのではと

*2:今はそうでもないと思いますが、当時よりも平均寿命も延びたので……

*3:実際、連載・放映当時はまだ女性は25歳くらいで結婚しなさいという時代で、男性の結婚年齢ももう数年先程度、だったはずですから

*4:制作事情からは「特にない、話の都合」というのが正解でしょうが

*5:連載開始時、千兵衛さんとは15歳違いの13歳という話にしている

*6:金属類かじれるから厳密には乳児ではないのだけど

*7:美人。かつ風呂が壊れた教え子に、自宅のお風呂貸してくれるくらい親切な人

*8:それでも自業自得型のエピソードを結構覚えていますが

*9:とは言っても私が知らないだけで、他に先行作品で若い博士が出ているかも知れないです。

*10:Wikiったら、1991年に制度が変わって、アメリカに倣って博士号が取りやすくなった模様

*11:90年代か、21世紀に入ってからまた厳しくなったようですが

1989 追記 土地バブルは怖いです。

前回の記事↓ですが、400字詰め原稿用紙に11枚分と言うのは、いくらなんでもくどかったと反省してます。

kabuchuhistory.hatenadiary.jp

端的に言えば、

昭和天皇が亡くなって、自民党が選挙で負けて、ベルリンの壁が崩れて、ひとつの時代が終わった感がありました。文化面でのベテラン貢献者の死去もそれを強めました。

総理大臣が、女性スキャンダルで白眼視されるようになったのもこの頃です。

でも、猟奇事件とかもあって、明るいばかりではなくて、投資は、株より土地が話題になっていて、それにからんだ地上げ屋とかもいて怖かったです。

地上げ屋が怖かったです(大事なことなので二度言いました。)。」

で、すむのに。

ホントになんで、 あんな長くなったのやら。

「悪魔の毒々モンスター」ならぬ「くどくどモンスター」なんですよね。自民党大敗に関しては、宇野総理の不人気の理由を入れなきゃ、そうするとそんな総理が出てきた理由として、その前のリクルート事件にも触れなきゃ、とか思って、他の事項に関してもこんな感じになってしまって。

 あと「馬から落ちて落馬して」的な表現も、多い……。「願わくば(中略)ことを願います」とか。さすがに何度か推敲してるので、減ってるはず(なくせたと言う自信がない。)……。

ちゃんと前の記事で書けなかったから、また繰り返しますけど、猟奇事件以外で、あの頃何が怖かったかって、土地の急騰でした。

ホントあれはイヤですね。私は地上げ屋の被害に遭ったことはなかったんですが、ニュースとかでやってるのみて、怖かったんですよ。

結局バブルは弾けてしまって、その前に無理してマイホーム買って、でもローン払いきれなくて手放した人が可哀想でした。あと、相続した実家とかがバカみたいに地価が上がったせいで、相続税や固定資産税が払えなくなって手放した人とか。身の回りの、子供の遊ぶ公園もつぎつぎなくなってったんですけど、今思えば、地主さんが代替わりして、土地を遊ばせておきたくてもできなくなったのかなと……。生活の基盤がどんどん崩れていくんですよね……。

(その後売り手市場が一転不景気になって、就職に失敗したり、ブラック職場でこき使われたせいで、心を病む人が続出するわけですが、それはもうちょっと先の話。)

今、株価のほうが話題になる日本でも土地は上がってるのかな……。家を買えないので、興味を持たなくなったのと、チラシをよく見てないのですが、上がってはいてもあの頃ほどの急騰じゃないんでしょうかね。

土地が高騰している中国、韓国が今あの頃の日本みたいな状況なんでしょうか……。

中国の、幅も広くて階数も高いタワマンを見てると機能的にも、開発の反動を知るがゆえにも怖さを感じます。

では。

地上げは怖いだよ。

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1989(いちきゅうはちきゅう) バブル最高値の年の思い出

 先週、日経平均がバブル後最高値をつけましたが、その、もととなった最高値を付けた1989年とは、どんな年だったか私の記憶とWikipediaから起こしていきます。

www3.nhk.or.jp

  総じて言って、私個人としては、あまり明るい印象はないんですよね。というのも、私自身がまだ社会人ではなく、株式投資をしていなかったから、当然その恩恵にもあずかれなかったので。また、この時代は株式よりも、土地への投資が注目され、問題にもなっていて、家を買うにも、目の玉飛び出るような金額に上がってしまい、そのことへの不安が学生ながらにありました。地上げ屋といって、上がりそうな土地を売らせるために、やくざとかが、立ち退きさせるための嫌がらせしに来るなんてことが問題になってたんです。

 という訳でこの年で記憶に残っているイベントをちょっと書き出してみますね。

有名人の死去

昭和天皇

 1月7日に崩御

ja.wikipedia.org

 ちょうど冬休みの終わりの日だったでしょうか。朝ニュースで一番に伝えられた記憶があります。ご危篤になった時から、ニュースでその日の血圧とか、あれば下血量とかが伝えられて、テレビの前が、ICU前の家族待合室*1みたいな雰囲気になっていました。亡くなられる前からだったか後だったか、自粛ブームといって、CMでも迂闊なものは流せない、別に宮内庁が文句を言ったわけではないようなのですが、民間で勝手に自粛してしまうような雰囲気がありました。

「みなさぁ~ん、おげんきですかあ?」

 と井上陽水さんが車から言うCMから、上記の音声が消されてしまったりとかね。

 ご逝去のあった次の日から、新しい次の元号、「平成」が始まりまして、ずっと続くようにも思えた昭和時代が終わりました。当時、朝日新聞に載っていた「フジ三太郎*2という漫画で、新しい元号に決まり、中年の三太郎が若い社員たちに向かって、「これで同時代生まれだね」とばかりに、にっこり微笑むという嫌味なシーンがあったのを覚えています。まあ六十四年もありますからねえ……。何ならその期間中に生まれて死んだ人*3も多いでしょうし……。

 平成から令和への改元は、この時に比べ、あまり重苦しくも、違和感もなく私には受け入れられました。おそらく、昭和天皇崩御前後の自粛騒動が、景気に水を差したことも考慮してのことだったのでしょうが、それを無惨にコロナ騒動が打ち砕いてしまったのは悲しいことです。

手塚治虫

 言わずと知れた漫画の神様。現代日本漫画のパイオニア。2月9日に亡くなられました。

ja.wikipedia.org

 私の親が、『朝日ジャーナル』という朝日新聞系列の週刊誌を取っていて、それに『ネオ・ファウスト』というゲーテの『ファウスト』という小説を下敷きに、舞台を70年代の学生運動中の大学に置き換えた漫画を連載していたのですが、手塚氏の病気でたびたび休載があって、ハラハラしつつも続きを待っていました。でも、話としては、たしか、いよいよ主人公が権力と財力を得て動き出した、というあたりで途切れてしまいました。この話の中で、主人公を引き取って飯を食わせてくれたり、仕事を世話してくれた成り上がりの富豪が、ガンでげっそり痩せてしまうという描写があったのですが、手塚氏もまた、ガンでした……。

美空ひばり

 6月24日に亡くなられました。

ja.wikipedia.org

 あまり私自身は歌手に関心がなかったし、偉大な人というのは存じてましたが、世代的に合わなかったかたではあります。でも、晩年の彼女の歌「川の流れのように」は、もう少し年を取ってから聞いて、しみじみといい歌だと、そして彼女の歌唱によるものが最高だな、と思うようになりました。

www.youtube.com

 2月の手塚氏の死去に続く「達人」の死去に、「昭和天皇がその道の達人を連れて行く」ような気になってしまったのも事実です*4

 と、私が上げるこの年の有名な物故者というのはこの三人になりますね*5。分野の違う人なので、一緒くたにするのは色々失礼かとも思うのですが、1989年というのは、私にとって「その道の第一人者が何人も亡くなった年」という印象なのです。

猟奇事件

女子高生コンクリート詰め殺人事件

 名前の通りの事件です。それ以上言いたくないほど陰惨な事件でした。

ja.wikipedia.org

  この前年くらいと思ってましたが、犯人の逮捕は1989年でした。犯人グループが未成年だったため名前は伏せられましたが、それをあえて報道する週刊誌なども出、今に至る少年法論争のきっかけの一つになっています。また、近年でも無関係なお笑い芸人の方が、この事件の関係者だと事実無根の中傷を受け、脅迫されたという余波が起きています。

連続幼女誘拐殺人事件

ja.wikipedia.org

 これも思い出したくないし、事件の詳細も書きたくないくらい嫌な事件でした。この犯人が、漫画・アニメ・特撮のマニアだったため、これらのファンは辛い思いをすることになりました。この事件で広く知られるようになった「オタク」って、元来あんまりいい意味の言葉じゃないんですよ……(老害の繰り言。)。

政治動向

天安門事件

ja.wikipedia.org

 中国で民主化を求めた学生さんたちが、弾圧された事件。中国の複雑な事情など、当時の私にはよくわからなかったのですが、ある歌手が「中国では自由を求める学生が頑張ってるのに日本ではみんな堕落してる」みたいなことを歌にしたような記憶が。他国を引き合いに貶される筋合いはない、と反発心を覚えた記憶があります。

 世界が、開放路線だったはずの中国の強硬策に唖然とした事件でした。

宇野首相スキャンダルと政治家への貞潔概念の広がり始め

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 この年より前から、「リクルート事件」と言って、リクルート社のお偉いさんが、お金の代わりに株式を政治家に送った事件がありまして。お金じゃなくて株式だから収賄に当たらないのか当たるのかともめてましたが、その責任を取って当時の内閣が辞職し、後任がこの人だったのですが、就任直後に、芸者さんを愛人にしたことをすっぱ抜かれ、外国のマスコミが問題にしたことから、「政治家が妻以外の女性と関係を持っているのはご法度」という意識が、日本人に本格的に広まり始めたような気がします。

 かつて戦前の頃、昭和天皇男児になかなか恵まれなくても*6、側室をもうけるのを頑なに断っていた頃から、約50年以上経ってやっとのことでした。

 小室眞子さんの結婚の頃、「これで女性が男性を養うのが普通になる時代が来る」と言っていた*7女性学者がおられましたが、このことを考えると、やはり「女性が男性を養うことが珍しくない時代」になるにはやはりあと50年くらいかかるような気がします*8

マドンナ旋風による自民党参議院選挙敗退

 上記のような不人気な首相だったこと、この前年くらいに消費税を強行採決で通し、89年から実施(はじめは3%でした)が始まったことなどから政府自民党への不満が高まり、7月の参議院選挙で自民党は当時野党第一党だった社会党に大敗します。当時の社会党党首が土井たか子という女性党首だったのもあって、この頃の社会党の進撃は「マドンナ旋風」と呼ばれました。(アメリカの歌手の「マドンナ」さんに由来するものではなく、女性候補を発掘する社会党の「プリマドンナ発掘作戦」から来ているそうです。マドンナ議員 - Wikipedia

ja.wikipedia.org

 当時、自民党の勢力は良くも悪くも、今より強く、そうそう過半数割れなど考えられない状態でした。それが動いたのですから、たくさんの人が期待したのですが、社会党は、その後の湾岸戦争(91年)など国際社会の変動などに対応しきれず、うまくいきませんでした。

ja.wikipedia.org

ベルリンの壁崩壊

 89年11月9日の出来事。

 調べると色々前からの運動と、その直前の連絡の行き違いなどで起きたことです。ja.wikipedia.org

 当時、冷戦の影響で、ドイツは資本主義の西ドイツ、社会主義東ドイツに分かれていて、対立状態にありました。東ドイツの首都ベルリンは、その中に壁に囲まれた西ドイツ領もあるという状態になっていました*9。それが、ソ連ゴルバチョフ書記長のペレストロイカなどで、徐々に締め付けが弱まり、色々なことが重なって、東ベルリンと西ベルリンの壁が開いたという事件です。合流した市民たちによって、壁が一部とはいえ翌日には壊され始めたので、「ベルリンの壁崩壊」と呼ばれています。

 当時ずっと冷戦が続いて、ドイツも東西に分かれたままでいるのだろうと思われていました。それが崩れたので、「すごい!」という驚きと、楽観に世界が包まれた事件でした。

 実際翌年には東西ドイツが、西ドイツによる東ドイツの統合という形で統一され、ここに社会主義と資本主義で分断された東西ドイツ時代は幕を閉じました。

 しかし数年後、東西の格差などから、旧西側、旧東側の両側から、不満が出るようになり、今でもその状況は尾を引いていると言われます。

日本株式の史上最高値(当時)

 そして12月29日、日経が当時の史上最高値をつけました。前述のベルリンの壁崩壊、夏の社会党参院選勝利など、終わるはずがないと思っていた壁が崩れ、世の中すごくよくなってくのかな? という楽観的ムードの中の高値だったと思われます。年の瀬ですから、翌90年への更なる希望を抱いていたかもしれませんね。

ja.wikipedia.org

 しかし、日本国内の猟奇事件や、地上げ屋の跋扈、中国の天安門事件など、明るいことばかりではなかったことも事実です。

 今回、年の瀬ではなく、年初(2月ですが)につけたこの株の最高値更新が、いかなる道筋を辿るのかは分かりませんが、陰惨な事件や戦争、それに天災がこれ以上起きる年になりませんようにと願わずにはいられません。 

 情報のまとめ方は私の主観によりますので、偏ったところもあると思います。長文(約4,400字……)失礼いたしました。では。

参考:

ja.wikipedia.org

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*1:そんなものがあるかは知りませんが。

*2:今の目から見ると色々問題の多い漫画でした。

*3:特に戦争で(T T)。

*4:よく考えると失礼すぎる考えですが。

*5:他にイランのイスラム革命の立役者のホメイニ師とかもいます。

*6:上皇陛下は昭和天皇の第5子でいらっしゃいます。

*7:半ば皮肉のようでしたが。

*8:それも、今までのようにホワイトカラー職が存在するのが前提で、AIに頭脳職が仕事を取られて、人間に残されたのが、力仕事ばかりになる世の中になってしまったら、それも難しいかもしれません。

*9:ちなみに当時の西ドイツの首都はボンでした。

天皇誕生日記念? 『テムズとともに』感想

   天皇誕生日なので、昨年出た新装版『テムズとともに』の感想というか、印象に残ったところを書いていきます。

この本の概要

 今上陛下が、20代の頃のイギリス留学経験を、当時のメモを元に、約十年経ってから本にまとめたものです。(留学当時はまだ昭和天皇の在位中でしたので、陛下は皇孫であらせられ、浩宮(ひろのみや)様と国民はお呼びしていました。)それが平成に至って皇太子殿下となられて数年後に出版され、それをご即位されて後の昨年、新装版として出版されたものです。

「一人の天皇の皇孫時代の記録」という意味で日本史的にも、「1980年代の、外国人から見たオックスフォード大学」という英国史の史料としても、重要になっていくかもしれないと思います。(留学からご執筆まで約10年のブランクが空いているので、後世の史料としては、元になったメモ類の方が重要になるかもしれませんが。)

 個人的には、私は、この本の初版時、話題を聞きつけて、買いに行きたかったのですが、どこで買えるのかわからず、買えませんでした。学習院大に行って、学内の書店に行けばあったんでしょうけれど、そこまで気が回らず、また、「よその学校に軽々しく入るものではない」、という高校までの教えが抜けていなかったので、多分思いついても行けなかったと思います。

全体の印象

社交的でないとやってけない印象。文系研究者とは、机の前でひとりうんうん唸っているイメージがありましたが、それとは遠い感じ。(唸っていたであろう描写もありますけど)

    勉強だけじゃなく、スポーツ、観劇、登山、室内楽と色々アクティブに活動している印象。20代の体力凄い……。当然ですが、ご公務も合間合間にこなしてらっしゃいます。

  あと、入学前の語学研修の段階で、身分を隠して行った地元のお祭りで、「東京のどこから来たの?」と聞かれてうっかり「東京の中心部から」と答えたために、バレてしまっていた、というエピソードがありました。何ですぐ「千代田区」が出てこなかったのかな、と思ったのですが、学習院という、区外の私学に通われたためかな、と、義務教育は地元公立校で受けた者としては思いました。

オックスフォード大学について

オックスフォードの構成として、コレッジ(学寮)と学部・学科の関係がよくわかりませんでした。単なる生活の場ではなく、教育機関としても存在するコレッジが集まってオックスフォード大学を形成し、成立させている、まではまだわかるのですが、コレッジ=学部・学科ではなく、コレッジと学部・学科の両方に学生が所属するというのが、どういう状態になるのかというのがよくわからず。例えば、同じ文学部の人でも専攻するものによってコレッジが違うとか、あるいは学部・学科が違ってもコレッジが同じとかあるということなんでしょうかねぇ……。(頭がよじれます。)

 ちなみに、陛下のいらしたマートン・コレッジには、後に彬子様も留学されています。

ja.wikipedia.org

   またオックスフォードの学生と、それ以外の市民との確執がある、という話でチラッと、14世紀の学生と市民との間の、 死者まで出た大乱闘について触れられているのですが、そのきっかけが、ワインの質に学生がケチをつけたことというのが怖かったです。

    これは在フランスのツイッタラーさんが紹介していたのですが、オックスフォードに限らず、中世の大学生というのは粗暴だったようです。

natgeo.nikkeibp.co.jp

    日本でも、平安時代、大学寮(官吏の養成校のこと)の学生が、相撲取りを相手に喧嘩して勝ってしまった、という話が今昔物語にありますが。(こっちは怪談らしいオチがあるので、信憑性は弱くはなりますが、元になるような出来事はあったのでしょう)

hon-yak.net

  もちろん、この本の時代ではではそんなことはなく、出てくる学生さんも先生も、育ちの良さそうな穏やかな人が多かったです。   

寮での生活

    食事は朝昼晩、食堂で摂ることも可能なのは、まあ日本でもあるかな?  ですが、掃除も、定期的に人が来て、ゴミの回収と床掃除とか、軽いものならしてくれるというのがすごいなと思いました。異性を引っ張り込んだりしてないかなどの監視も兼ねてるそうですが。

     ただし、洗濯はランドリー(文中では「ローンドリー」)で。乾燥機が争奪戦なのはどこでも変わらないようです。

    ちなみに、食事の質はコレッジによっても違うとのこと。陛下のいたマートン・コレッジの食事は美味しかった模様。

     すべての場面でそうではないですが、時々、紅茶やコーヒーが濃かった、という描写が出るのが印象に残りました。食堂での朝食の紅茶がコーヒーみたいな色という記述とか。頭が冴えるようにですかね。

    その他、ある学生の集まりで、床に座って絨毯のうえにコーヒーのマグを置くとか、食堂が狭くて、テーブルの上をやむなく土足で歩く人がいた、という場面も、今から見るとひっかかりました。もし2020年ごろまでこうした習慣が普通に残ってたとすれば、コロナ……。

    お風呂事情は厳しく、湯舟に浸かって温まるということは望めなかったそうです。古代ローマの浴場跡を見て、陛下は、ローマ時代のお風呂事情に思いを馳せたということですが、くしくも、この本の初版の20年後くらいに話題になるマンガ『テルマエ・ロマエ』の作者も、イタリアなどで、ローマ期の遺跡を見ながら同じようなことを思っていたとかいってた記憶が……。

その他の事項

    学寮での生活だけでなく、研究の過程についてとか、旅行・登山とか、歴史とかについても簡潔に書かれています。(理解するには読み手の知力が問われますが。)

   尻切れトンボな紹介になりましたが、イギリスに興味のある方は、是非。

 

では。

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(お題)中野サンプラザの思い出 適性検査とカウンセリング

お題「「中野サンプラザ」の思い出」

  「全国勤労青少年会館」

 中野サンプラザの昔の正式名称です。つまり、働く若者たちのための施設、という意味ですね。

ja.wikipedia.org

 今回このお題を書くにあたって、他の方の記事も拝見したのですが、コンサートや、周囲の環境、中野サンプラザではなくて、サンプラザ中野(くん)氏*1の話などを書いてらっしゃる人が多かったので、それらとはちょっと違う中野サンプラザの一面を書きとどめておこうと思いました。

 実は、サンプラザ中野には、最初書いた通り、正式名称に「勤労」と頭についているだけあって、「サンプラザ相談センター」というのが中にあり、お仕事関係で悩める子羊になってしまった若人に、アドバイスをする相談事業もしていたのですね。

 どこで私がそれを紹介されたのかは、思い出せないのですが*2、適性検査とカウンセリングを受けたことがあります。

 まず、適性検査。

 よく覚えていませんが、一面に短い木の棒がはめられている上に、樹脂製のキャップみたいなのをどんどんかぶせていく検査があったと記憶しています。

 検査は一人でやったわけではなく、私の他に二人くらいいたと思います。

 私は手際が悪く、正確にやろうとし過ぎて、他の方よりひどく遅かった記憶があります。

 動作検査だけでなく、筆記もあったような気がします。

 結果発表の内容はよく覚えていませんが、動作検査で「正確さにこだわりすぎ」みたいなコメントをされました。

 あと、カウンセリングについて。事前に渡された注意書きに、「あまりにも乱暴な態度、言葉遣いをした場合はお断りすることがあります」みたいなことが書かれていたことを覚えています。

 ただこの頃の私は、精神的にかなりどん底で、思い返せばカウンセリングだけでどうにかなる状態ではなかったようで、焦って特効薬を求めていた私には、迂遠に思えたのか、二、三回くらいしか通った記憶がありません。検査、カウンセリングともに、無料だったか、多分普通の相場よりも安かった*3ような記憶があるので、頑張って通えば、何か違ったのかもしれませんが。

 カウンセリングには相性もあるので、カウンセリングそのものを否定するつもりはありません。

 この事業、中野サンプラザが、中野区が中心になって作った会社に売却される前の2003年に廃止され、そのニュースを聞いて、「あ、もう相談に行けないんだ(´・ω・`)」と思った記憶があります。

 検索してみたら、当時の相談センターのスタッフは、中野サンプラザでの事業が廃止になった後、NPOを立ち上げて、別のところで事業を続けてらっしゃるようです。

npocsn.jp

 それから約20年。今度はもうあの建物自体がなくなってしまうのですね。

 淋しいものです。

 では。

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*1:最初は「サンプラザ中野」が芸名だったのが、のちに「サンプラザ中野くん」に改名したため

サンプラザ中野くん - Wikipedia

*2:その性質上、職安の人に紹介されたのでしょうか。

*3:今の相場を知らないのですが、保険がきかないのでカウンセリングって、当時一回一万円くらいしてたような

二階元幹事長の蔵書棚 書籍費3500万円の謎

 先週、二階元幹事長に関し、こんなニュースが。↓

自民・二階俊博氏、3年間で書籍代3500万円の不思議「家1軒分」「読書家ぶりに驚き」 - 産経ニュース

書籍費、三年間で約3500万円なりとのこと。

これが具体的にはどれくらいの額、あるいは場所をとるかというと、下のようなツィート(今はポストか)がありました。

かなり広い本屋さん一軒分の書籍量、価格になるとのことです。

 「書籍費の名を借りた不正では!?」と色めきたつ人がいる一方、「本当に3500万円くらい使いそうな政治家もいる(いた)というご意見も。(大平総理とかすごかったそうです。)↓

m-dojo.hatenadiary.com

    そもそも上の書店さんの例は、おそらく一般人向けの一般的な本を扱う、「新刊書店」の場合であるわけでして。

    世の中には新刊書であっても単価の高い、学術専門書(一冊1万円くらい)とか、後になって、何らかの形でプレミアがついてしまう古書などもあるわけで。

    その一例↓(5万近くします。新装版が出たのに、旧版の値段が下がってない……)

   そういった高価な専門書、プレミア古書が大半を占めている構成なら、前述の書店になぞらえた本の量も、五分の一か十分の一くらいになるはずで、そこまでの場所は取らないという可能性もあるということになります。

   これはもう、

「是非とも蔵書を拝見したい!!」

ということになるのですが、今日その内訳が発表されました。↓

www.tokyo-np.co.jp

   ……自分に関する本などを、一種類あたり数千冊、数百冊購入し、配っていた…とのこと。配ってしまうので、原則手元にはそんなに残らないということですね。

    「こういうのは書籍費とはいわず宣伝費なんじゃ!?」との意見もありますが、とにもかくにもロマンの欠片もないオチになってしまいました。

    さ、自分の積ん読を読むとしますか……。

    では。

 追伸:出版社の側から取材した政治家に買い取ってもらうこともあるとか……。↓

news.yahoo.co.jp

 出版界は大変ですね。(2024.2.21追加)

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本質は「女性の被害」だけではないと思う クロ現・悪質ホストクラブ問題感想

 先週、一週間遅れのクローズアップ現代の感想をアップして、見事にスベったのにも懲りず、また一週間遅れでクロ現の感想です。

www.nhk.or.jp

 テーマは悪質ホストクラブ問題。売掛取引で膨大な借金を追わせて、お客の女性に売春などをさせて、お金を回収するというもの。

 しかし、翌日のX(旧Twitter)には案の定、「自己責任」「男だってソープやキャバクラの支払いに追われている」といった意見も散見されました。

 私はこの問題、「女性が被害を受けている」ことではないと思うんですよね。少なくともそれだけではない。

 番組中で触れられてたように、「最初はホストであることを隠してマッチングアプリで勧誘」とか、「社会経験も収入もそんなにない若い子を、風俗で稼がせるために客として引き入れる」ことが問題だと思うんです。

 中には、高校生の頃からホストクラブに行ったという女性の例もありましたが、男子高校生、大学生がキャバクラを始めとする接待を伴う飲食店や風俗に行って、金銭的に問題になり、売春やその他の強制労働を要求されたという例は、私は聞いたことがありません。

 そりゃ世の中、思い切り悪い方に背伸びしたことをしてしまう人もいて、法定年齢以下のお客を、それと知らずに相手にしたことがあとで発覚、店側がもらい事故のように処罰される事例は、昔からたまにあるわけですが*1、そうではなく、初めから年が若すぎる(判断力の付く年齢ではない)ことも、支払い能力がないことも見越した上で、懐の中のお金ではなく、相手の自由すら奪って売り飛ばすことを目的に接客することが問題なわけです。

 だから、ジャニーズ事務所での青少年の性被害が、男性の性被害の法制化以前はなかなか明るみに出なかったように、ひょっとしたら男性向けの特殊飲食店、もしくはソープなどの買春業界で同じように客として来た人が、詐欺的客引きや支払いでがんじがらめになってしまって逆に売る側になってしまう例が、隠れてはいるのかもしれません。

 だったらそれはそれで、性別にかかわらず問題にされなければならないと思います。

 つまりこういうこと↓。

 見たい方はNHKオンデマンドでどうぞ↓。2月21日までだそうです。

www.nhk-ondemand.jp

 ……しかしまあ、昔はホストクラブと言えば、功なり名を遂げたキャリアウーマンか、「理解ある」裕福な旦那さんのいる女性が、オールバック+ダークスーツの渋いホストに、高いお酒飲みながら話聞いて貰ったり、ダンスの相手してもらったりして、ふわっといい気分になって帰る場所……つまりは「マダム」(一人前の女性)の行く場所というイメージがあったのですが……。それは随分と古い話のようです。


www.youtube.com

 でも、高校生っていうのはあまりに早すぎますよね。2022年から18歳が成人年齢になり、法的責任が生じるようになったのにも付け込まれているんでしょうか。

www.gov-online.go.jp

 水商売の歯の浮くようなお世辞にしか、救いがない人っていうのも、相当すさんだ環境にいるのでしょう。ただホストなどの依存対象から引きはがして終わり、では済まないのだろうなとも思います。

 では。

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