この記事は、事件当時の私の不謹慎な感慨を述べていますので、ご注意下さい。その割に、安倍元首相の死に関して感傷的に語っている記事になりますので、それもイヤだという方もご注意ください。
この記事が公開される頃には、日付が変わってしまいますが、安倍元首相の殺害事件から、二年が経ちました。
事件直後から、それ以降、元首相の死が腑に落ちるまでの自分の心境を書いていきたいと思います。
事件当時の私の心境
これに関しては記憶だけを頼りに書いてるので、不正確だろうと思います。
安倍元首相が銃撃された、という一報を自分の投資用のTwitter(今のX)アカウントのタイムラインで見て、「銃撃」という言葉にまず驚きました。そして、犯行に使われた銃が、最初「拳銃」と報道されたのに、その後「散弾銃」という報道もあり、一般的イメージとして、まったく大きさの違うこの二つがなぜ混同・誤認されているのか、と疑問に思いました。
実際は手製の散弾銃であり、この両者の中間くらいの大きさでした。
病院に運ばれたと聞いて、「拳銃なら助かるかもしれないが、複数の弾の当たる散弾銃なら最悪の事態の可能性が高いだろう」と思いました。
……結局、その最悪になってしまったのですが。
やがてTwitter(X)のタイムラインには呆然とする人の声、死を悼む人の声が、ポツポツと投資情報に交じって流れてきました。
中には、「涙が止まらない」という声もあり、驚愕以外の感情の振幅はない自分は、薄情な奴かも知れないとも思いました。
銃撃直後の映像も回ってきて、二発目の銃声の後、一見、普通に演台から降りたように見えたものもあり、本当にあっけなく人は命を落とすことがあるのだというのが正直な感慨でした。
安部元首相の死が腑に落ちるまで
私にとって安倍元首相は、特に好きでもなければ嫌いでもない、ただ、元首相という立場上、テレビ、ネットのニュースで間接的に「よく見かける人」という存在でした。
そうした「有名人」の死を何度か経験していますが、大抵引退されて「最近見ないな」とか、病気で倒れた、という報があって、そこから死去の報が流れる、というパターンが多かったのです。
ところが引退の報も、闘病の報もなく、メディアでの露出の高かった元首相の突然の死は、感覚的に私にとって飲み込めるものではなかったようです。
ついこの間まで、元気に歩き回る姿を画面越しに見ていた人物の遺影が、テレビに映し出されるたびに「あれ? なんで遺影なんか出てるの?」と思い、一拍おいて、「ああ、この人はもう死んだんだ」と思い出す、その繰り返し。
そこに特に悲しみは伴ってはいなかったけれど、ひょっとしたら、元首相と日常的に直に顔を合わせていたような人も、こんな感慨をもつのかな、だとしたらそれに感情が伴って、もっときついのだろうな、と思いました。国会や、自民党本部にいるヒラの党員政治家、その秘書の人はもちろん、守衛さんや食堂の人、掃除の人など、ちょっと顔を見かける程度の人でも、急に見慣れたひとりの人の存在が消えるということは、ひどく違和感と動揺を覚えるものなのではないかと思います。
私の場合、この感覚は三ヵ月後の、野田元首相による国会での追悼演説の後もまだあったような気がします。
安倍元首相の遺影を見て、違和感を感じなくなったのは、おそらく去年の今頃、一周忌を迎えた頃くらいからだったような気がします。
まとまらないままですが、ここで終わりにします。
では。
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