これもまた、ネットで読んだ話。確かX(旧ツイッター)で今年になってから読んだと記憶してるのですが、見つかりません。
今回の舞台は日本。時代は恐らくは幕末、早くても江戸後期くらいの頃の話だろうと思います。(国学が出てくるため。)
ある国学者A(?)が、もう一人の学者Bに会いに行きました。
AはBを、自分の藩で仕官しないかと誘いました。
しかしBはそれを断りました。理由は、「自分の主は既にいるから」と。
「そのお方は知行は3万石。京におわします」
そう言われたAは、それ以上Bを誘うことはなく、その話をおさめたのでした。
えーと、この話、「意味がわからない」と思われた方もいると思います。
Bさんの言う、主というのは、ぶっちゃけ、当時の天皇陛下です。江戸時代の皇室の御料は約3万石だったそうです。
まあ、国学者が主とあおぐ、京にいらっしゃる、という2点で、ピンと来た人の方が多いのではと思いますが……。
Bさんは現実には、宮中でお仕事を持ってる訳じゃないけど、心の主君として、天皇を慕っている、だから仕官しない……ということを遠回しにいったという話。(たぶん。)
この話も、私の頭にあるうちに、人名や固有名詞など、細かいことがごっそり抜け落ちてしまい、御料の「3万石」が、「6万石」に倍増していたりと、人間の記憶って、厄介でいい加減だなと思いました。(「京 6万石」で、いくら検索してもでないので、江戸時代の皇室の収入について調べ直して、この点だけは訂正が効いたのですが。)
中でもAさんBさんの名前が、ごっそり記憶から消えてしまってるのが痛いです。
Aさんは確か藤田さんといった気が……。でも「京 3万石 藤田」でX検索すると、結果がそもそもひとつも出てこないんです。
それに、国学者で藤田と言えば、幕末水戸藩の藤田東湖が浮かびますが、その父の藤田幽谷もまた有名ですし、「藤田」という私の記憶自体が間違ってるのかもしれません。(私は幕末の思想に詳しいわけではありません。有名な学者の名前だけ多少知ってる程度。)
誰かこの話知っている、というか、見かけたという方は、コメント欄にお願いします。
余談ですが、3万石という石高ですが、1万石からが大名だと言われています(諸説あり)。
ちなみに、このブログで時々触れている、小早川秀秋の実家の木下家が、江戸時代に治めた足守藩(現在の岡山県岡山市北区内足守地域)が2万5千石だそうです。
では。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★
クリックお願いいたします。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★